メモ
商売がうまくいってないのは、
「私押入れの中で、綺麗なお花咲かせてるんですけど誰も見にきてくれないんですよね」
という状態。
そりゃあ人もお金も集まらない。
お金があれば選択肢ができる。
選択肢があるということは選ぶことができる。
贅沢をすることもできるし我慢することもできる。
一方でお金がないという状況は、我慢をせざるを得ない。
なので、たくさん持ってて損はないよねって話。
選択肢を増やすものがもう一つ。
それが勉強であり学習であり頭の良い悪いではなく、学ぶという意欲。
これもたくさん持ってて損はない。
誰に取られるものでもなく、失わない財産。
なのに僕らはお金について学んでこなかった。
なぜなら、学校教育のなかに「お金」という授業がないから。
じゃあなぜお金という授業がないのか。
それは「教師」は「お金」から一番遠い所の存在であるから。
残念ながら教師になるための勉強に「お金」は組み込まれていない。
よって学校教育にお金が入ってないのではなくて、教師自体が教えられないから。教えられないものは当然授業で取り扱うはずがない。
夢を持て!と叫んだ大人たちはその先にある問題点を教えてはくれない。
そもそも、その先に待っている課題を知らないので義務教育の中では学ぶことができない。
夢を叶えるにあたって必ず直面するのは、お金の問題。
パン屋さんをやっても、パン屋さんを経営するだけの資金を抽出できなくなった時パン屋さんを続けられなくなる。
パン屋さんに限らない。どんな問題にも必ず資金は絡んでくる。
なのに日本では「お金を稼ぐこと」は汚いこと、と思われそこで思考を停止してしまった方達は自分よりも稼いでる人のことをバッシングする。
言いたいことを言い詐欺だ!宗教だ!と言う。
なぜそう非難するかと言うと、まず我々人間は「自分が知らないもの」を嫌う生き物なので、自分の頭で理解できないことをブロックしてしまいます。
そのほうが考えなくて済むから、理解しようとしなくて済むから。
自分が知らないってことが負けていると感じているので、知らないものに対して宗教だ!詐欺だ!といっておけば自分を下げずに済むので。
ですがそういった方がいるから成り立つものもあるので、きっと国民全員が賛同する物事自体、未来永劫現れないと思う。
その人たちには罪はなくて、問題はそういった思考を生む環境であったりする。そしてその環境の一つが上記の学校教育であったりする。