しゃちょー

この世界はどうやら自分次第らしいです

社会という擦りこみ

 

 

 

 

働きだしてから

感じたことは

 

学生の頃の

勉強って

すごく大事

 

 

真面目に

授業に取り組むとか

その辺のことではなくて

 

もちろん

それも大事で

大前提なんだけども

義務教育ならなおさらで

 

 

そこでふと思ったのが

そもそも

なんで

親には

教育を受けさせる義務があるの?

 

法律でそう決まっているから

と言われればそうなんだけど

 

ここで言いたい

大事

というのはそういう視点

 

 

世の中の常識に対して

なんとなく今までもそうだったから

とか

みんなと同じようにもいいけれど

なんで?

の疑問を

抱かずに

生きていては

社会に出たら

濁流に飲み込まれる

 

いつの間にか

いい歳になって

あれ 昔描いた俺の人生こんなもんだっけな

で大抵の人がだらだら過ごすことになってしまう

 

 

だから

今感じる

学生の頃の勉強は

ただただ

こなす勉強

をするぐらいなら

しないほうがマシで

その目先のテストに

受かるため

の勉強で

一夜漬けにして覚えた単語は

将来活きてくることは少ないに違いない

 

 

 

ここで

学生の頃の授業を例にとってみる

 

例えば

国語の授業

 

 

教科書の小説を

席順で一人一行ずつ読む

 

そして

ここで筆者はどのように感じたか?

的な

問題を先生が問いかける

数人のできるメンバーが手を挙げ

他の大多数は

何も考えていないか

寝ているか

鼻くそをほじっているか

の三択に絞られる

 

それから

テストになると

同じような問題が出題され

この選択肢から筆者の気持ちに一番近いものを

選べ。

ア、イ、ウ、エ、オ

と順に並べられた中から回答

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このように

もう

すでに

このア〜オの中に

正解がありますよ

という擦りこみが始まる

 

 

ところが

社会に出ると

そうもいかない

特に

この擦りこみから抜け出せない人は

答えは一つ絶対にある!と

自分の見える

範囲の中の選択肢から

なんとか探し出そうとする

 

 

でも

人生において

最善はあったとしても

これ

っていう一つの正解なんて

あるわけがなくて

 

Aの道を選んでも正解で

Bの道を選んでも正解で

 

例えAの道を行って転んで怪我をしたとしても

それも正解

 

無難に通れたBを選んでても正解

 

 

ア〜オのなかに

答えがあると思っていても

 

解決策は

全然違ったところから

出てきた

なんてこともざらにある

 

 

だから

自分の今見える景色の中に

答えが一個しかない

なんてことはない

 

考えるべきは

ハッピーエンドで終わるものを

もし

これがバットエンドだったら?

その後の未来はどう変わっていった?

という

仮説

創造性

 

 

 

 

学校という

特に義務教育という

社会の擦りこみに

攻撃的に抗えとまでいうと

大げさだけど

 

なんで?

と問いかける必要がある

 

 

そこを

追求することが

本当に

必要な勉強

 

なんじゃないかな

感じる

今日

この頃

 

だから

目先の

居残りを賭けた 

テストの為の勉強ではなくて

時間は有限だから

どうせする勉強なら

将来

活きてくる

勉強にしようよ

 

 

語呂合わせで

必死に覚えた

単語も

ググれば

一発で出てくる

世の中になった

 

 

 

社会という擦りこみに

いち早く気付いて

 

本当に

学ぶべきところを

見極めて

見定めて