紫アタマのおばあちゃん
最近ボクがやっていることは「言葉に出すこと」で
特に、字面として残しています。
お気に入りのノートに書いたり、ボールペンやシャーペン、筆ペンなどいろんな書き方をしています。
今思えばボクは昔から「字を書く」こと自体が好きでした。
一般的な綺麗、のようには描けるわけではない。
けど、自分の納得のいく自己満足の綺麗さをいつも求めていたように思います。
授業中でも、字の綺麗な先生の黒板の字を見てどうやったら上手く描けるんだろうと、徹底的に真似したり。クラスには1人や2人必ず、習字をやっている子を密かに真似たりと。
今思い返せば、自然とやっていたなあと思います。
それもきっかけは単純で、小学校高学年の時に出された漢字の宿題で決して「綺麗」ではなくても「丁寧」であれば、毎回先生が褒めてくれたんです。それが嬉しくて頑張っていつも丁寧に書いてると、どうやったら綺麗に描けるんだろう?に変わって今ではその当時の頑張りのおかげで、習字習ってたの?と聞かれるぐらいに描けるようになり(習ってないです。)自分の小さな武器ではあるかなあ、と思います。
これまでも、ふとした時に「言葉」を描きたくなって。日記を書いたり(続いても1ヶ月ぐらい)、印象に残る言葉を書きとめたり。
わかる人にはわかる感覚の話にはなると思いますが、「書きたくなる瞬間」って定期的にやって来るんです。
で、最近も書いてまして。お気に入りはマルマンのクロッキー帳です。
マルマン スケッチブック クロッキー帳 白クロッキー紙 ブルー SM-02
- 出版社/メーカー: マルマン(maruman)
- メディア: オフィス用品
- 購入: 12人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
最初は書くこと自体に「面白いなー」と思っていたのですが、だんだんと書いている「言葉」に興味が湧いてきてですね。
言葉って面白いなーと。
誰が生み出したのかはわからないですが。
そんな時に出会った映画が、「舟を編む」です。
こちらの記事↓
ここでまた、言葉ってやっぱ面白い!になるわけです。
で、少し話は変わりますが。
今日、小、中、高からずっと一緒の幼馴染の子の祖母に会ってきまして。
美容師とカイロプラクティックをバリバリ現役でやられてる75歳です。
幼馴染をYと呼ばせてもらいます。
Yとは小、中と一緒のチームで野球をやっていました。
小学校からセンス抜群で中学校でもずっとレギュラーとして出場し、活躍していました。
しかしYは小学校の頃に野球選手ではよくあるのですが「野球肘」(肘が痛くてボールが投げられなくなる)になってしまいます。
手術をしないといけないほどの状態までなった時、
祖母のカイロプラクティックでの施術でYの肘はみるみるうちに回復し手術はしなくても良いとなりYは高校でも野球を続けられるようになり、高校野球でも4番を打つほどの強打者となり県大会でも結果を残し9年間の野球生活を終えました。
そんな彼を支えたのが祖母です。
祖母に当時の話を聞きました。
こんな話をYによく言っていたそうです。
「どんなに結果が悪かろうと、打てなかろうと、道具は大事にしなさい。ちゃんと綺麗にして、手入れをしなさい。」
感謝を忘れてはだめ、ということですね。
そして
バッターボックスに入る前に、
「ヒットが打てました。ありがとうございます。感謝します。」
と言いなさい。と教えたそうです。
Yは素直なので、その教えを守ります。
もちろんY自身の努力も当然あっての上で、彼がチームの4番であり強打者にまで導いてくれたのだと思います。
その話を聞いて当時のことをなんとなく思い返してみると、実はYは中学校の時の野球の年間の成績がチームでトップということで「トップ打率賞」というものをもらっていたことに気がつきました。
やはりここにあるのは「言葉」だと思います。
言霊という言葉があるように、口から出る言葉には魂が宿っていると改めて感じさせられました。
汚い言葉を使う人間は、そういう人生を歩むようになってる。
悪口を言うような人間にも、それなりの人生が歩むようにできてる。
いつも言葉によって僕らは決まった道を歩いている。
そのことに気がついた時、
ボクが「言葉」が面白いと書きとめていた言葉が心にグサグサと入ってきました。
偉人も成功者も口を揃えて「運が良かった」と言っています。
これが事実なのだと思います。
信じることもできるし、疑うこともできる。
それも言葉の面白さであり、深みだと思う。
日常で積もってきたストレスの発散場所がなくて、有名人や名の知れた知名人に向かって匿名で攻撃をする人のきもちもわからなくもない。
選択肢がないからだ。
でも、その選択肢は自分次第で増やせる。案外それは「知ってる」か「知らない」かちょっとした差だけのことかも知れない。
「言葉」にはお金のように限度がないから一見、
いくら使っても減らないと思うし、汚い言葉を使おうとも自分には傷を追わないから使いたいように使える。
じゃあもしこの「言葉」に限りがあったなら。
生涯使える言葉が100文字だとしたら、
僕らはわざわざ汚い言葉を他人に匿名で浴びせるか?
そんな人はきっといない。
大事な人に、大切な人に、心からの素直な気持ちを伝えることに使うことをボクは信じたい。
これが言葉のメリットであり、一歩間違うと他人を傷をつける刃物にもなる。
右へ倣って吐いた何気ない一言が、相手を深く傷つけるかも知れない。
独りよがりに偏った正義感が、束になることでいとも簡単に人の命を奪うかも知れない。
言葉の面白さはどんどん深まっていく。
小学生の頃に感じた面白さとはまた違った形で。
ボクはもっともっと言葉をたいせつにたいせつに届けたいと強く思った。
そんなことをYの祖母との会話で思いました。
というなんでもないまとまりのない長文に目を通してくださってありがとうございます。
感謝します。