しゃちょー

この世界はどうやら自分次第らしいです

あさねむい

 

 

 

経験したことがある、

ってめちゃくちゃ強い。

 

いいことも悪いことも全部含めて。

過去の失恋とか失敗とか挫折とか思い出したくない程のこともたくさんあるけど結局最終的に辿り着くのは、

 

それらを"経験したことがある"って事実。

 

過ぎ去った

と書いて過去だから、

その経験を変えられないかもしれない。

 

けど、その経験を活かす努力をすればその過去があったから、今がある。という事になる。

 

 

その当時では

そんな事は考えられなくても

残酷なようだけど時間が解決する部分も少なからず、ある。

時の流れに身をまかせる時もある。

 

ずーっと自分のいらないプライドみたいなちっぽけなものを見にまとっていると、

どうも身動きが取れなくなるらしい。

頭でっかちってやつだ。あれこれ考えて、結局やらなかった。が、オチだ。

 

人が嫌がる仕事はまもなくロボットに取って代わるし、やりたくない仕事をするより、やりたいことを仕事にする、いや、やりたい事しか仕事にできないぐらいにまでは、なる。

 

小学生がネットで、そこらの大人と同等に戦っている。ひょっとすれば、スマートフォンの進出に乗り遅れた大人達は、小学生よりもネットには無知かもしれない。

国民全員が、情報発信できる時代だ。嘘は嘘と見抜かれ、不味いものを上手いといえば信頼は間も無く消える。

匿名で発信できるネットの声に信用が置かれているからだ。

情報が共有され、拡散され、テレビ、新聞なんかではもう既にスマホで見たニュースが流れてることなんかよくある話だ。

 

メディアはもうネットの早さには勝てっこない。そうなってくれば、美味しいお店のレシピは家でも作れるし、家庭教師を呼ばなくても動画で勉強できるようになる。(それぞれの良さがあると思いますが。)

 

つまり、

"あのオムライスが美味しいお店"のオムライスの作り方はネットに載っている。

そうなれば、

"あのオムライスが美味しいお店"

から

"あの人が作っているオムライスのお店"

といった"人"に焦点が当たるようになる。

 

そこにあるのは、ロボットでも作れない

人と人との信頼関係。

感情をもった、人だからこその進化とも言える。

 

 

と、

そんなことをボサーっと考えている。