しゃちょー

この世界はどうやら自分次第らしいです

止まらない死亡事故

 

 

 

先日

 

交通事故があり

死者が出たニュースを目にした

 

 

運転手は旦那さんで

助手席に奥さん

後ろに幼い子供を乗せていた

 

 

相手は

携帯を触りながら運転し

前方を全く見ていなかった為

起きたものだった

 

 

旦那さんと子供には

怪我はあったもの

命に別状は無かった

奥さんは

搬送先の病院で死亡が確認された

 

 

 

先日ぼくが書いた記事と

重なるものがあり

強い憤りを感じた

 

相手は

携帯を触っていたというところだ

 

何らかの理由があったのかは

分からないが

 

その行動の結果

人を殺してしまっている事は

まぎれもない事実

 

 

その後

旦那さんのコメントが続けて書かれていた

 

その内容は

 

加害者に対して怒りはない

ただ、罪を犯した自覚を持ち続けて欲しい

彼はまだ若い

結婚して

家庭を築いて欲しい

そうすれば

家族を失った自分の気持ちが分かると思う

 

 

と綴られていた

 

ぼくは正直

驚いた

 

先日書いた記事で

おばあちゃんが事故で死んだ

というものを書いた

 

相手に対して

許せない怒りがこみ上げた

そんな自分と

比較すると

今のぼくには

分からなかった感覚だった

 

ただ

奥さんの死は

無駄死にだった

と言う

 

 

 

 

今日もどこかで

事故は起きる

亡くなっていく人もいる

その反面で

生まれてくる命や

かけがえのない喜びや幸せを

感じる日にもなる

 

 

いつどこで

何が起こるか分からない

 

自分が加害者にも

被害者にもなる

それは

今日かもしれない

明日かもしれない

 

それを怖がって生きなくても

いいけど

そうなるかもしれない

と思えるだけで

 

今の生活は

今よりちょっと

濃いものになるかもしれない

 

忘れかけてた物に

気付くかもしれない

 

今日生かされていることに

 

感謝が出来るかもしれない

 

 

 

 

奥さんの死が

無駄にならないように

生きているぼくらは

それを考える事ができる

 

それは

生きているぼくらが考える義務があると思う