しゃちょー

この世界はどうやら自分次第らしいです

母の運転が遅いワケ

昔から

ぼくの母は

猛烈に車の運転が遅い

 

いや、

丁寧な運転だ

 

だから

子供の頃は

母の運転にはいつも

イライラして

怒鳴っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

母の母

つまり

ぼくのおばあちゃんは

母が小学生の頃亡くなった

だからぼくは

母の母

おばあちゃんを見たことがなかった

 

これは昔

母から聞いた話で

 

事故死だったらしい

 

相手車両との正面衝突で

運転していた母の父

ぼくのおじいちゃんは

一命を取り留めたが

おばあちゃんは

搬送先の病院で

死亡が確認された

 

 

ぼくが聞かされていたのは

それくらいだった

 

それも

確か

ぼくが小学生の頃ぐらいの事だった

 

だから

深く聞くこともなかったし

そうだったんだ。

ぐらいで

 

 

一昨年

おじいちゃんは病気で亡くなった

男手一つで

3人の兄妹を育てた

76歳という若さだった

 

 

 

おじいちゃんの家が大好きだったぼくは

時々

1人で家に来る

何か用があるわけでもなく

ただ行きたくなる

 

 

先日

おじいちゃんの部屋に入ると

書類がそのままになっている

棚を見ていた

 

一番大きなファイル

新聞スクラップと書かれたファイル

 

手に取ってみてみると

衝撃が走った

 

 

 

 

開いた1ページ目には

 

当時の事故の記事が貼ってあった

3月4日の新聞記事だった

 

読んでみると

やはり事故だった

朝方の事で相手車両が無理に

センターライン割って追い越しした事が

原因となっていた

 

 

無残になった事故車両

と書かれた

写真が一枚貼り付けてある

 

本当に無残な姿だった

 

しばらくぼくは

呆然とした

 

いつも見ている

新聞の一面が

別のものに見えた

 

そこでやっとぼくは

母の運転が遅い理由がわかった気がした

 

その他にも

僕や兄、姉、弟、従兄弟の

マラソンの記録や

部活動で載った記事を

綺麗に切り抜いてあった

 

名前しか載ってない記事でも

ペンで印をつけて

残してあった

 

 

 

 

 

いろんなことを悩んでたことが

全て甘えに思えてくる

この記事を切り取った時の

おじいちゃんは

どんな心境だったのだろうか

泣いていたのかな

もう回復してからのことなのかな

色々な事を思った

新聞というものは

いいことも

耳の痛いことも

全て記事として発信される

そして

現代にまで残り続けるもの

当時は辛くてみることもできなかった

記事も

今、こうして代々受け継がれる

命の順番で

記事を読んでいる

ぼくがいて

これからに生かされる

今失いたく無いものも

いつかは失ってしまう

身も心も全て

 

そうなる前に

今の自分ができることが

必ずある

ただただ

一生懸命でいい

懸命に生きること

それは

今日も

生かされている

ぼくたちだからできること

 

 

生きているぼくらは

 

それを全うする責任がある