しゃちょー

この世界はどうやら自分次第らしいです

人生は"思った"通りになる

 

 

 

 

 

何が正解か

わかって生きてる人なんていなくて

 

 

みんな

何が正解かわからないから

もがいて苦しんでる

 

この選択が正しいのかなんて誰にもわからないから

この選択を正解にする為に必死に生きてる

 

ときどき

挫折しながら

ときどき

甘えながら

ときどき

燃えながら

 

今日1日を生きてる

 

 

巷に溢れた方法論を並べ

考えることを放棄した人間は苦しまない

 

自分の人生を他人に委ねた人間には苦しめない

 

でもきっとそんな人間などいなくて

みんな

幸せになりたいし

豊かに暮らしたいし

今を大事に生きていたいと思ってる

 

だけど

素直になれなかったり

思い通りにいかなかったり

誰かに依存したり

 

素直な顔に仮面を被ってしまう

 

人生は思い通りにはいかないかもしれない

自分が望む結果にならないこともある

 

でも

人生は思い通りにはならなくても

自分の思った通りにはなる

 

できないと思えば

それはできないし

 

絶対できると思えば

できるようになる

 

案外そんなもので

その気持ちが

結果を引き寄せてくる

 

 

つまりは

自分次第

 

他人がどうこうではない

 

まずは自分

 

 

 

恋をしたから

 

 

 

好きな人ができると

 

 

 

日中その人のことばっかり考えるし

連絡ばっかりずっと取っていたいと思うし

返事がない時間は猛烈に気分下がるし

他のSNSでの更新があるのに自分に対しての

リアクションがなければもう死にたくなっちゃうし

そんな事細かに相手を調査してること自体に幻滅したりもするし

 

とにかく

嫌な自分がどんどん見えてきて

それで

その自分を見るのが嫌で

恋愛が面倒に思えたり

優先順位が下がってきてしまう

 

うまくいくことばかりではなくて

こんなに広い世界の中で

たったふたり

お互いがお互いのことを

思い合うってこんなにも難しいものなんだなって思う

 

 

いい反応が帰ってくれば一人で飛び跳ねるし

一人で舞い上がってただけか・・ってなる時もある

 

 

当然

相手の価値観もあるし

自分の価値観もある

 

これ美味しいよって勧めても

いやまずいっていうかもしれない

 

人間も食べ物でも好き嫌いがあるのとおなじ

 

 

恋をしたから

今日1日を頑張れたり

なんてことなかった日常が少し明るくなったり

ちょっとした嬉しかったこと楽しかったことを

あなたに伝えたくなる

恋をしたから

空の青さに気づいたり

相手を思いやる大切さに気づいたり

明日が待ち遠しかったり

今を永遠に味わっていたくなる

 

 

 

数年ぶりの感覚で

ちょっと楽しい

 

ネタバレを恐れるな

 

 

 

人は確認作業でしか動かない

 

 

つまり

 

すでにネタバレしているもの

世に出回っている情報を自分の目で確認したいが為に現地に足を運ぶ

それが地球の裏側だろうと、だ

 

人口の数だけ発信力を持った今、新聞やテレビでのニュースはもはや遅れをとっている

 

その発信力を殺してしまうのが、携帯電話の禁止であったりライブ会場、個展会場での撮影禁止だ

この理由の一つには写真を撮ってSNSにアップしたならばタダで観れてしまう、という点がある

個人の発信力がある今の時代、お客さんがSNSにアップするのは、自分はこんなすごいところに来ている、こんな体験をしているといったつまるところの優越感だ

その優越感を押さえ込んでしまうのが上記のような運営側の問題

 

拡散力があれば当然1人でも多くの方に伝わる

ライブであればそのアーティスト名を1人でも多く知ってもらえる可能性があるということだ

 

その結果、動画サイトで他の曲を聴いてみたいとなるかもしれない

そうなれば結果的にアーティストとしての名が売れることにつながる

 

人間は自分が

知らないもの

わからないものを嫌う習性がある

 

全く知らないものと

すでにネタバレしているもの

 

確認作業でしか動かないのだから、当然ネタバレしたものにしか動かない

というわけだ

 

常識は常識ではなくなる

大事な古い価値観もあれば次から次へと乗り替わっていく価値観もある

 

そのアンテナは常に張っておかないとすぐに置いていかれる

 

巷に溢れた成功論を探り続けても結果は出てこない

自分で考え

自分で行動し

そこから学んだものでしか

自分の価値観は手に入れられない

 

 

 

なぜ不幸なニュースが多いのか

 

 

 

この世界では

口では言わないが

他人の不幸に興味を持ち

他人の幸せには嫉妬心を抱く人が多い

 

最近のニュースでパッと思いつくのは何?

と聞かれたら10人中10人が同じように答えると思う

 

それくらい

メディアの影響力は大きい

しかし

その影響力は他人の不幸を知らせるものばかりだ

なぜか?

それは僕ら、視聴者自身がそれを求めているから

 

メディア関係者もそれを仕事とし、養っていかないといけない家庭があるかもしれない。守りたいもののために仕事をしているかもしれない。

となれば、その方達に集中砲火で罵声を飛ばすのは全くもってナンセンスなことで。

目先の出来事に一喜一憂して本質を見失うと、今のツイッター界のようなことが現実でも起きてくる。

 

新聞を開いても、目に通すのはお悔やみ欄、全国各地での事故など

皮肉なもんだな、生まれてくる命よりなくなる命に興味があるんだから。

 

 

今まで考えられなかったような事件が

平気で起こっている世の中

 

この感覚になれてしまう自分が怖い

便利なものに溢れて

確かに楽になったしスマホひとつあれば

自分の可能性も広がる

 

時代は進んだ

令和になっても残さないといけない先人の知恵も技術もある

古き良きものたちを忘れてしまうのはどこか寂しい

そこにこそ物事の本質がある気がしてならない